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日本の城

发布时间:2026-10-22 | 浏览:1
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日本の城 (にっぽんのしろ・にほんのしろ)では、 日本 国内に築かれた 城 について解説する。 北海道 に築かれた アイヌ の チャシ 、 沖縄県 および 鹿児島県 の 奄美群島 にあった グスク についても一部解説する。 日本における城は、 環濠集落 から 古代の山城 、 水城 、 城柵 などを経て、 中世 ・ 近世 にかけて発達・増加。 石垣 と 天守 を持つ城は一部で、簡素な造りの 砦 も多く、規模や構造は多様である。各地で領主が抗争し、村落が自衛することもあった 戦国時代 を含めて、現存する城と後に放棄・ 破城 された城を合わせると日本にはかつて数万の城があったとみられる [ 1 ] 。現代において、城は文化遺産や観光資源として保存・修復の対象になっている。中には、史実では造られなかったあるいは外観についての記録がない天守を「復元」した例(模擬天守) [ 2 ] 、歴史上存在したことがない和式城郭風建物が新造された例( 熱海城 など)もある。 城を造営することを 築城 と呼ぶ。立地の選定や設計を行う 縄張 に始まり、 堀 や 土塁 を築く 土木工事 である普請(ふしん)と、 門 や 塀 、 櫓 、屋敷、天守などを 建築 する作事(さくじ)へと進む。 中世の城では、戦闘員である 武士 が主に駐在し、その武士たちの 主君 である 武家 や 豪族 は、城のある山とは別の場所に館を構えて居住していた。戦国時代には、主君も城内に居住するスタイルが現れ、主要な 家臣 たちも城内に屋敷を与えられ、その家族や日常の世話をする女性も居住した。戦国末期から近世の城郭では、 外郭 を築き、 城下町 も取り込む城も現れた。 江戸時代 の 1615年 に 一国一城令 が発布され、城の数は大幅に減った。中世・近世に、平地に築かれた館や館造りの 陣屋 等は城には含まないものの、城郭構の陣屋や館、 御殿御茶屋 など少しでも城に近づけて造られたものは、城とすることがある。 幕末 にはこのほか、軍事的防御施設として 台場 や 砲台 が築かれた。 漢字の「城」は、現在は 音読み で「じょう」また「せい」、 訓読み で「しろ」と読む [ 3 ] 。また、日本語の古語として「き」という訓読みがある [ 4 ] 。「しろ」と訓じられるようになった時期を、『角川古語大辞典』では中世後期としている [ 5 ] 。 古代から中世初期までは、「城」のほかに「 柵 」という字も用い、ともに「き」と呼ばれた。 飛鳥時代 から 奈良時代 にかけての城、たとえば 大宰府 近くにあった「 大野城 」は「おおののき」であり、 山形県 の「 出羽柵 」は「いではのき」であった(→ 城 (き) )。 やがて、山に城を造って領国を守る時代が訪れ、中世後期には「城」は「しろ」と読まれた [ 5 ] 。 文明 6年( 1474年 )の文明本『 節用集 』には、「城」に「シロ」の訓がある [ 6 ] [ 5 ] 。 「しろ」の語源・発生時期には諸説ある。『 大言海 』 [ 7 ] および『角川古語大辞典』 [ 5 ] は、「 山城国 」に由来するという説を採用している。 「山城国」から 喜田貞吉 は、「やまうしろ」と読まれていた山背の国(現在の 京都府 南部)が 平安時代 初期の 延暦 13年( 794年 )11月15日に山城国に改名されると、「やまうしろ」が転訛(てんか)して「山城」を「やましろ」と読むようになり、そのうちに単独の漢字「城」に「しろ」という訓を当てるようになったと論じている [ 8 ] 。 城戸久 著『城と民家』 [ 8 ] に紹介されている説を抜粋する。 外観が「白い」から。 城郭建築の外観が白 漆喰 塗りで白いから「しろ」と読むようになったという説。江戸時代末期に刊行された 谷川士清 『和訓栞』(わくんのしおり)にある説 [ 8 ] 。 ドイツ語 から。 ドイツ では城を意味する言葉に「シュロス (Schloss)」があり、それが日本に渡来して「城」を「しろ」と訓読みするようになったという説 [ 8 ] 。 比較言語学 の観点から、 上代 から 中世 までの日本語では「治める・統治する」という意味の動詞「しらす、しる」( 古墳時代 の「 治天下大王 」の「治す(しろしめす)」と同源)があり、その中世領主の 領地 を指す名詞形として「 しろ 」が使われるようになったとする説が有力である。 弥生時代 の日本には、 集落 に外敵が攻めにくいように、 濠 をめぐらせた 環濠集落 や山などの高いところにつくられた 高地性集落 が数多く存在したが、 ヤマト政権 に至る政治的統一が進むにつれて衰退した。 城の文献上の初見は、 664年 に 天智天皇 が築かせた 水城 (みずき)である。この時代には、 大野城 や文献に見えないものも含め多数の城が 九州 北部から 瀬戸内海 沿岸に築かれた。 また、 蝦夷 (えみし)との戦争が続いた 東北地方 では、7世紀から9世紀にかけて 多賀城 や 出羽柵 、 秋田城 などの軍事拠点と行政拠点を兼ねた 城柵 が築かれた。 城は、主に 西日本 における城柵であり、山城を主体として政庁を囲むようにして石垣や版築土塁の城壁を築き、 街道 が貫く部分を開口して城門を建てた。柵は、主に東北地方における城柵である。西日本の城と同様の構造であったが、政庁を囲む城壁は版築土塁のほかに木の角材を建て並べたものも使われた。 [ 9 ] 。 これらの城は、 ユーラシア大陸 における古代 中国 に見られるような 城壁都市 の概念に由来するものであり、日本では 国府 の守備として築かれ用いられたが、 律令制 が崩れると共に廃れ、武士の時代に築かれ始めたものが戦闘拠点としての狭義の城である。 中世の日本では、武家の平時の居住地への防護と、戦時に険阻な山に拠る際の防護と、2つの必要から城が発達した。平安時代後期、 治承・寿永の乱 においては『 吾妻鏡 』や『 平家物語 』『 山槐記 』などの記録史料・日記に城郭の存在が記されている。この頃の「城郭」は堀・掻盾や 逆茂木 など敵の進路を遮断するために設置した バリケード であると考えられている。 南北朝時代 の城の特徴は、 曲輪 (くるわ)の削平が不十分、 腰曲輪 の使用、多重の 堀切 もしくは多数の堀切を入れる城が多い傾向がある [ 10 ] 。 戦国時代 初期まで「城」と呼ばれるものは圧倒的に後者の 山城 が多かった。領主の居城では、外敵に攻められた際、領主は 要害 堅固な山城へ籠り( 籠城 )、 防御 拠点とした。こうした山城は、麓にある根小屋に対して「詰めの城」と呼ばれた。例としては、 武田氏#甲斐武田氏 の 躑躅ヶ崎館 と 要害山城 などがある。 前者の領主が平時に起居する館は、麓に建てられた。地域によって「根小屋」「館(やかた/たち/たて)」「 屋形 (やかた)」などと呼ばれ、周囲に堀を巡らし、 門 に 櫓 (やぐら)を配置するなど、実質的に城としての機能を備えていた。周囲には、家来の屋敷や農町民の町並み(原始的な 城下町 )ができた。 戦国時代中期から城の数は飛躍的に増大し、平地に臨む丘陵に築いた 平山城 (ひらやまじろ)や平地そのものに築いた 平城 (ひらじろ)が主流となる。防御には優れるが政治的支配の拠点としては不向きであった山城は数が減っていく。 また、この時期の特徴としては「村の城」とも呼ばれる施設が全国的に造られたことも挙げることができる。これは戦乱が日常化したため、地域の住民が戦乱発生時の 避難施設 として設けたもので、時には領主への 抵抗運動 や近隣集落との抗争時に立て籠もる軍事施設としても機能した。これらの施設は山頂に平場を作事するなど純粋な軍事施設の「城」に比べると簡素な造りで、狭小であることが多い。 中世・戦国時代初期の城郭は、土塁の上に掘り立ての仮設の建物を建てたものが主体であった。 鉄砲 、 大砲 の普及によって、 室町時代 末期から 安土桃山時代 には、 曲輪 全体に石垣を積み、寺院建築や 公家 などの屋敷に多用されていた 礎石 建築に加え、壁に土を塗り籠める分厚い土壁の恒久的な建物を主体として建設され、外観も重視して築かれたものが現れた。 こうした城は室町時代末期以降、特に 松永久秀 が 多聞山城 や 信貴山城 を築いた頃や、 織田信長 が 岐阜城 や 安土城 を築城した頃に発生したと考えられている [ 11 ] 。その後 豊臣秀吉 により 大坂城 や 伏見城 などが築かれ、重層な天守や櫓、 枡形虎口 を伴う 城門 に代表される、現在見られるような「 日本の城 」が完成した。この形式の城郭を歴史学上、「 織豊系城郭 」と呼ぶ [ 12 ] 。織豊系城郭は 織豊政権 麾下の諸 大名 が主に建設した。日本国内全体に遍く普及したのではなく、東北地方や 関東 、 四国 、九州の 戦国大名 たちは、各地の実情にあわせた城郭を築いている。また、織豊系の城では、これまで城館の周囲には定住のなかった商工業者たちを、城に接する街道沿いの指定区域に配置。常設の 市 を開き、 領国 の経済拠点として都市を設置した [ 9 ] 。 豊臣政権や 江戸幕府 は、 天下普請 として政権が直轄する城の築城を、各地の大名に請け負わせた。このことにより、織豊系城郭の技術が諸大名に広まり、各地に織豊系城郭の要素を取り入れた城が多く現れた。 江戸時代以降の城は、軍事拠点としての意義が縮小し、政治を執り行う政庁としての役割が強くなる。 藩 の 御用金 や 年貢米 を保管するための蔵が城内に設けられ、これらを守ることが城の主な機能となった。また藩の財政を司る 勘定所 が設置され、歳出と歳入の計画の立案と記録が行われた。 江戸幕府により、1つの大名家につき原則1つの城を残して破却するよう命じる「 一国一城令 」が諸大名に向けて発布された。各大名はこれに恭順して家臣たちの城を破却し、大名の居城の城内や城下に屋敷を与えて集住させた(「 城主大名 」も参照)。1万 石 以下の領主は城を持つことが許されず、 陣屋 と呼ばれる屋敷を建てて住い、領地支配を行った。このような陣屋の一部は、江戸末期から明治初頭において城郭化や拡張が行われたものもある。 江戸時代では、災害などで被害を受けた城の修復には幕府から修復許可を得なければならなかった。修復願(修復願書)には修復願絵図という図が付けられ、災害の被害状況などが説明されていることから、災害の規模や当時の城について知ることができる資料である [ 13 ] [ 14 ] [ 15 ] 。 江戸時代後期、日本と正式な通商を許されていた オランダ 以外の欧米諸国の艦船が日本近海に来航するようになった。 海防 のため、幕末には日本各地に 台場 や 砲台 などが築かれた。また、大砲戦に対応した 西洋 式 要塞 の影響を受けて、 開港 地となった 箱館 の 五稜郭 や 四稜郭 に代表される 稜堡式 の城郭、 五島列島 の 石田城 、 蝦夷地 (北海道)の 松前城 など日本式の城郭も新しく築城された。 松前藩 はこのほか、 本州 で 戊辰戦争 が始まっていたの 明治元年 (1868年)に 館城 を築いており、最後の和式城郭と位置付けられている [ 16 ] 。 会津藩 の 鶴ヶ城 や五稜郭などは、戊辰戦争で戦場となった( 会津戦争 、 箱館戦争 )。 明治新政府 樹立後に築かれた城も存在している。千葉県の 松尾城 がこれにあたり、横矢掛かりを重視した稜堡式を取り入れ、役所と 藩知事 邸を分離するなど特徴の多い城郭であった。これらの新期城郭は 廃藩置県 により工事が中止になったものがほとんどである。 明治時代 に入ると、各地の城郭は、 兵部省 (後の 陸軍省 )の所管となった。 1873年 ( 明治 6年)に布告された 廃城令 によって 廃城 処分( 大蔵省 所管)となった城は旧城の建物が撤去され、役所や学校などが置かれたり [ 17 ] 、 神社 境内 や公園として利用されたりした例もあった。「廃城処分」とは、大蔵省の裁量によって処分することである。 彦根城 や 犬山城 のように元城主が邸宅として居住した例もある。一方、存城処分となった城は引き続き陸軍省の所管となり、 日本陸軍 が駐屯した [ 18 ] 。九州には、 士族反乱 で戦場となった城もあった(「 佐賀の乱#佐賀城攻防戦 」「 西南戦争#熊本城攻撃 」)。 なお、明治時代から 太平洋戦争 終結に至るまで軍事施設として 近代要塞 ( 東京湾要塞 、 虎頭要塞 など)や 野戦陣地 ( 西南戦争 、 硫黄島の戦い 、 沖縄戦 など)が構築された。これらを「日本の城」に含めるかは議論がある。 廃城令で約190あった城のうち43が破却された [ 2 ] 。軍の施設や公共施設を設置するために不要な建物や老朽化の進んだ建物、維持が困難となった建物は撤去されていったが、 名古屋城 や 姫路城 に代表される一部の城郭建築について保存運動が行われ、 参議 であった 大隈重信 に対して 町田久成 、 世古延世 によって『名古屋城等保存ノ儀』が進言されたのに加えて、1874年、彦根城天守について 明治天皇 に対して大隈重信や 二条斉敬 の妹( 皇后 の従妹)などによる彦根城保存の上申や陳情があり、天皇の命によって解体から一転して保存されることとなった [ 19 ] 。さらに、1878年、日本陸軍大佐の 中村重遠 が当時 陸軍卿 だった 山縣有朋 に対して名古屋城と姫路城の保存を進言した。1879年、陸軍予算による両城の保存修繕が加えられることが決定し、正式に国によって保存されることとなった [ 19 ] 。 城郭建築の再建は、明治期の1910年(明治43年)に 岐阜城 で天守の復興が行われているが、城郭建築の復興事業としては1929年(昭和4年)、 洲本城 で 昭和天皇 の 大典 記念として コンクリート 建築での模擬天守が建てられた。1931年に大坂城では SRC造 による復興天守が建てられ、戦後の城郭建築の外観復元・復興や模擬天守建設の先駆けとなった。その後、1933年に 郡上八幡城 、1935年に 上野城 において木造での模擬天守が建てられた。 1930年および翌年の1931年、 国宝保存法 で城郭建築200棟が国宝に指定 [ 19 ] 。 現存天守 は指定を受けなかった彦根城天守を含めて19棟を数えた。しかし、日本陸軍の駐屯地となっていた城跡や城下町から発展した各都市は 太平洋戦争 末期、 アメリカ軍 の 空襲 の目標とされた。1945年には、 爆撃 や 広島市への原子爆弾投下 により、名古屋城、 岡山城 、 和歌山城 、 広島城 、 福山城 、 大垣城 の天守6棟を含めて1930年以降に国宝(現行の 文化財保護法 の国の重要文化財に相当)に指定されていた現存建築60棟ほどが損失した [ 19 ] 。戦後、空襲などを免れた城郭建築の内、1949年に 松山城 の筒井門とその周囲の建物3棟が焼失。同じ年に松前城では町役場の火災から延焼して天守を焼失した。 昭和戦後も、1954年(昭和29年)の 富山城 模擬天守建設以降、「天守閣復興ブーム」 [ 20 ] や「お城復興ブーム」 [ 21 ] などと呼ばれる昭和30年代、同40年代を中心に、主に天守の復興が多く行われた。櫓の復興では1954年(昭和29年)に 吉田城 で入道櫓(三重櫓)を外観復興したものが最も古い例である。1958年(昭和33年)以降より、基本構造を RC造 またはSRC造として建物の外観を再現した、天守(外観復元天守)や櫓、城門が建設されるようになり、主に1945年の空襲によって失われた城郭建築がこの方法によって再建された。この種の再建建築の最も新しい例は1985年(昭和60年)の 大垣城 艮櫓、西門、土塀の外観復元である。 竹下政権 の ふるさと創生事業 が実施された 1988年 以降には、 文化庁 などの方針によって史跡での再建行為が忠実なものであることが求められるようになる。 平成 2年(1990年)の 白河小峰城 三重櫓の木造復元以降は、資料に基づいた木造での復元や復興が原則となった。また、掛川城天守、熊本城の城郭建築群、篠山城大書院など資料に基づく復元事業が行われ、この時期を「平成の復興ブーム」 [ 20 ] や「第2次復興ブーム」 [ 21 ] など呼んでいる。この時期では、天守に限らず、櫓や城門、御殿、土塁、石垣などの復元、また出土した中世・戦国の城郭を再現した事例がある。しかし、伝統的な技法での復元工事では、建築基準法や 消防法 などに抵触するため、門や櫓は人の立ち入りが制限されたり、天守に至っては高さや防災上の規制により建築自体ができないなどの ジレンマ もあったため、コンクリート基礎の上に礎石を並べて建てたり、柱や桁梁などに補強金物を一部施すなど近代的な技法を一部導入したり、 仙台城 の三重櫓のように再建計画自体が断念される事例もある。復元された建物内部は、概ね郷土博物館や歴史資料館として一般公開されていることが多い。 コンクリートを使って近現代に復元された天守なども経年劣化が進んだり、 耐震 性不足が露呈したりしている。このため大坂城で溶液を流し込んでコンクリートを再 アルカリ化 させて強度を増すなど延命・補修が行われている [ 2 ] 。 現在は、姫路城や高知城などの 現存12天守 のほかに、大坂城や名古屋城など各地に櫓や門、塀、御殿など一部が現存する。国の重要文化財に指定されているものでは、 城門 は62棟、 櫓 は61棟ある [ 22 ] 。このほかにも、府県・市町村の文化財に指定されている城郭建築がある。またさらには姫路城、 古都京都の文化財 の一つとして 二条城 が現存建築群を含めて ユネスコ の 世界文化遺産 に登録されている。国指定の史跡としては城柵、城館、グスクを含めて約200箇所ある。 ( 復元天守・復興天守・模擬天守・天守閣風建物の各詳細に関しては 近・現代の天守建設 を参照のこと。 ) 江戸時代の 軍学者 による地勢に基づく城の分類には、 平城 (ひらじろ)、 平山城 (ひらやまじろ)、 山城 (やまじろ)の3つがある。これらの区別は明確ではない。 他に水域である海、湖、河川に面した特徴から 水城 といった分類もされている。 連郭式 平山城(伊予国 松山城 ) 築城に際しての基本設計を 縄張 (なわばり)あるいは径始・経始(けいし)といい、その中心は曲輪の配置にあった。“縄張”の語源も曲輪の配置を実地で縄を張って検証したことに由来するとされる。近世に入ると、軍学者たちにより、様々な分類・分析がなされた。縄張の基本的な形式としては、曲輪を本丸・二の丸・三の丸と同心円状に配置する「輪郭式(りんかくしき)」、山や海・川を背後に置き(後堅固)本丸がその方向に寄っている「梯郭式(ていかくしき)」、 尾根 上などに独立した曲輪を連ねる「連郭式(れんかくしき)」などがあるが、実際にはそれらの複合形を取ることが多い。 沖縄県 や 奄美群島 では、城(しろ)にあたるものとして グスク が挙げられる。起源については 聖域 説や集落説など様々な説がある。内部には 御嶽 (うたき)とよばれる聖域があるものも多い。知念森城(ちねんもりぐすく)は沖縄の歌集『 おもろさうし 』に神が初めに現れた城として登場する。建物や遺跡の復元整備が進められている 首里城 跡(しゅりぐすくあと、しゅりじょうあと)は、現存する遺構では最大規模であり、 中城城 跡(なかぐすくじょうあと)や 今帰仁城 跡(なきじんぐすくあと)とともに 世界遺産 に登録されている [ 25 ] 。 北海道の アイヌ が築いた、城(しろ)にあたるものとして 砦 ( チャシ )が挙げられる。基本的に城砦として使用され、アイヌ間や対 和人 、対 ウィルタ の抗争に利用された。儀式等に用いられることもあり、機能は一概には言えない。 大類伸 - 日本の城郭史研究に先鞭をつけた 千田嘉博 - 奈良大学 文学部 文化財学科 教授 鳥羽正雄 - 日本の城郭史研究を確立した 中井均 - 滋賀県立大学 人間文化学部 地域文化学科 名誉教授 八巻孝夫 - 中世城郭研究会 代表 関西城郭研究会 - ウェイバックマシン (2005年2月16日アーカイブ分) 中世城郭研究会 ( Webサイト ) - 会誌『 中世城郭研究 』、 全国城郭研究者セミナー 主催 北部九州中近世城郭研究会 - Facebook ↑ 風来堂『図解「地形」と「戦術」で見る日本の城』 イースト・プレス 1 2 3 【ニュースの門】天守閣再生 大阪に秘策あり『 読売新聞 』朝刊2020年4月12日(解説面) ↑ デジタル大辞泉 . “ じょう【城】[漢字項目]の意味 - 国語辞書 ”. goo辞書 . NTTレゾナント . 2015年5月5日時点の オリジナル よりアーカイブ。2015年3月21日閲覧。 ↑ 桜井満、宮腰賢 編『全訳古語辞典』 旺文社 、1992年。 ISBN 4-01-077700-1 。 1 2 3 4 「しろ」 中村幸彦、岡見正雄、阪倉篤義 編『角川古語大辞典』 3巻、角川書店、1987年。 ↑ “ 国立国会図書館デジタルコレクション『節用集』 ”. p. 101. 2017年5月25日閲覧。 ↑ 大槻文彦 『大言海』 冨山房 、1923年 - 1924年。 1 2 3 4 城戸久『城と民家』 毎日新聞社 、1972年。 1 2 香川元太郎著『 歴群 [図解]マスター 城』 学習研究社 2012年 ↑ 八巻孝夫「衣笠城とは何か(下)―その研究史及び遺構の考察と実像―」『 中世城郭研究 』第30号、 中世城郭研究会 、2016年、52-55頁、 ISSN 0914-3203 。 ↑ 三浦正幸監修 『【決定版】図説・天守のすべて』学習研究社〈歴史群像シリーズ〉、2007年。 ↑ 織豊系城郭について 中井均 は以下のように定義する。「織田信長、豊臣秀吉とその一門や有力家臣団の城に共通して認められる斉一性の強い城郭を指す。そのもっとも共通する要素として石垣、建物、 瓦 を挙げることができる。」( 中井均「礎石建物・瓦・石垣」『織豊系城郭とは何か:その成果と課題』、 村田修三 監修・ 城郭談話会 編、サンライズ出版、2017年、24-28頁、 ISBN 978-4-88325-605-1 。 ) ↑ “ ゴミ係のおじさんが「鳥羽城の未発見絵図」を発掘するなんて…ドイツ在住作家が「さすが日本」と感嘆したワケ 階級社会が根付いている外国では起こりえない (3ページ目) ”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2024年12月18日). 2024年12月18日閲覧。 ↑ “ 中村城郭修復願絵図 ”. www.city.soma.fukushima.jp . 2024年12月18日閲覧。 ↑ “ No.307 福岡城 ”. 福岡市博物館 museum.city.fukuoka.jp . 2024年12月18日閲覧。 ↑ 館城跡~日本最後の和式築城~ 厚沢部町教育委員会(2021年1月31日閲覧) ↑ 前者は 福井県庁舎 、後者は 金沢大学 旧丸の内キャンパスが該当する。 ↑ 都市の中心に広大な敷地を有する城郭は、元来戦時のために作られたものでもあるので、防衛拠点として最適だったのである。 [ 要出典 ] 1 2 3 4 学習研究社編『歴史群像特別編集 【決定版】図説 国宝の城』学習研究社 2010年 1 2 西ヶ谷恭弘(監修)『復元 名城天守』学習研究社、1996年。 1 2 中井均・三浦正幸(監修)加藤理文ほか『城を復元する』学習研究社〈よみがえる日本の城 30〉、2006年。 ↑ 中井均著『山川MOOK 1 日本の城』 山川出版社 2009年 ↑ 輪郭を意識したときに「郭」、内部の平地を意識したときに「曲輪」と使い分けることもあ。る ↑ 『 細川両家記 』 永正 18年( 1521年 ) ↑ 財団法人日本城郭協会『日本100名城 公式ガイドブック』学習研究社、2007年。 ↑ “ 配信映画「1960年~1969年」 ”. 科学映像館 . 2014年4月14日時点の オリジナル よりアーカイブ。2014年8月18日閲覧。 1 2 “ 日映科学映画作品リスト ”. nichiei映像ライブラリー . 日映科学映画製作所 . 2014年8月18日時点の オリジナル よりアーカイブ。2014年8月18日閲覧。 ※ 2014年8月18日時点の作品リストNo.「197」に本作品がリストアップされている ↑ 姫路城総合管理室. “ 姫路城大天守保存修理事業のスケジュールについて ”. 姫路城大天守保存修理事業について . 姫路市 . 2014年8月18日時点の オリジナル よりアーカイブ。2014年8月18日閲覧。 古墳#後世の城砦化 - 古墳 が堀と高台を持つことから、多くの時代で城砦として利用された。 『 日本の城 』 - 科学映像館 Webサイトより《 →YouTube版 》 日本の歴史ガイド 日本のお城 城跡 史跡 幕末 日本の民家 足軽長屋 合掌造 田麦俣多層民家 本棟造 曲り家 大和棟 くど造り 赤城型民家 鳥居 三柱鳥居 三ツ鳥居 両部鳥居 仏堂 阿弥陀堂 釈迦堂 本堂 薬師堂
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